プラモデルF1シリーズ⑤ Tyrelle P34
第5回目のモデルは"Tyrelle P34(1976)"
他に例をみないユニークな6輪車!
当初はキワモノと思われていましたが、意外や意外...。
76年のヨーロッパラウンドから(確か)、前年より発表はされていたこの6輪マシンがいよいよ登場しました。
(チョット埃で汚れていますがご容赦を!)
前輪の発生する空気抵抗の低減が目的で、小径タイヤでスポーツカーノーズのカバー出来る中に収め、接地面積の不足を補うため4輪になりました。
前輪が小さくドライバーが見えないので、カウルのシフトレバー操作のためのコブの上に小窓が設けられています。
73年のシーズン終了後、2人のドライバーを失ったティレルは、74年から"ジョディ・シェクター"と"パトリック・ドゥパイエ"のF1経験の浅い新人ドライバーを採用しました。
73年のチャンピオンマシンである005はトリッキーな操縦性だったようで、74年シーズンに向けオーソドックスな007を開発し参戦しましたが、74年は2勝・75年は1勝を挙げるに留まり、75年シーズン後半はライバルマシンとの比較で急速に戦闘力が低下し低迷してしまいました。
そして76年にこの6輪車がデビューするや話題席巻でしたが、戦闘力については冷ややかな目で見る輩も多かったようです。
しかしなかなかどうして、スウェーデンGPでPP獲得しワンツーフィニッシュでの1勝を始め、2位に8回の入賞する等、期待に反する?活躍を見せました。
翌77年はウルフに移籍したシェクターに代わり"ロニーピーターソン"が加入しましたが、グッドイヤーの前輪用タイヤの開発が進まず、成績は2位1回・3位2回と振るいませんでした。
さてさて、この77年はロータスからウィングカー(グランド・エフェクトカー)が登場した年でしたね!
他に例をみないユニークな6輪車!
当初はキワモノと思われていましたが、意外や意外...。
76年のヨーロッパラウンドから(確か)、前年より発表はされていたこの6輪マシンがいよいよ登場しました。
(チョット埃で汚れていますがご容赦を!)
前輪の発生する空気抵抗の低減が目的で、小径タイヤでスポーツカーノーズのカバー出来る中に収め、接地面積の不足を補うため4輪になりました。
前輪が小さくドライバーが見えないので、カウルのシフトレバー操作のためのコブの上に小窓が設けられています。
73年のシーズン終了後、2人のドライバーを失ったティレルは、74年から"ジョディ・シェクター"と"パトリック・ドゥパイエ"のF1経験の浅い新人ドライバーを採用しました。
73年のチャンピオンマシンである005はトリッキーな操縦性だったようで、74年シーズンに向けオーソドックスな007を開発し参戦しましたが、74年は2勝・75年は1勝を挙げるに留まり、75年シーズン後半はライバルマシンとの比較で急速に戦闘力が低下し低迷してしまいました。
そして76年にこの6輪車がデビューするや話題席巻でしたが、戦闘力については冷ややかな目で見る輩も多かったようです。
しかしなかなかどうして、スウェーデンGPでPP獲得しワンツーフィニッシュでの1勝を始め、2位に8回の入賞する等、期待に反する?活躍を見せました。
翌77年はウルフに移籍したシェクターに代わり"ロニーピーターソン"が加入しましたが、グッドイヤーの前輪用タイヤの開発が進まず、成績は2位1回・3位2回と振るいませんでした。
さてさて、この77年はロータスからウィングカー(グランド・エフェクトカー)が登場した年でしたね!
by mipple11
| 2006-09-03 22:30
| ホビー
|
Trackback
|
Comments(22)
Commented
by
azmomohiro at 2006-09-03 22:42
お〜懐かしすぎです
この頃は、まだ私が小学生で
ただ、クルマの面白さのみ見入っていたクルマでしたが
小窓等、知られざる真実が面白いですね。
この頃は、まだ私が小学生で
ただ、クルマの面白さのみ見入っていたクルマでしたが
小窓等、知られざる真実が面白いですね。
0
Commented
by
manx_jg54 at 2006-09-03 23:27
Commented
by
COOPER99 at 2006-09-03 23:34
なんじゃこりゃ、トラックか?と言われながら雨とかも強かったよねぇ。
タイヤをまともに開発してくれれば、もっと活躍できたかもしれないのに。
オラも作りましたよ、この窓はなんだぁ?って言いながら。(笑)
タイヤをまともに開発してくれれば、もっと活躍できたかもしれないのに。
オラも作りましたよ、この窓はなんだぁ?って言いながら。(笑)
Commented
by
okuruma1970 at 2006-09-03 23:51
こんばんは。
小学生のときだったのか、頭の中に「たいれる」(日本GPでのひらがなステッカー)と6輪車というのは強くインプットされていました。
それから十数年、中嶋悟が移籍してTyrellが大きく取り上げられて、子供の頃の記憶とつながったのでした。
それでも小窓なんてのは、今の今まで知りませんでした(脱帽)。
小学生のときだったのか、頭の中に「たいれる」(日本GPでのひらがなステッカー)と6輪車というのは強くインプットされていました。
それから十数年、中嶋悟が移籍してTyrellが大きく取り上げられて、子供の頃の記憶とつながったのでした。
それでも小窓なんてのは、今の今まで知りませんでした(脱帽)。
Commented
by
くりりん
at 2006-09-04 00:56
x
どーも、F1大好きな黄僕986のくりりんです♪
まだ、この頃は生まれていなかったですが・・・(笑)、
TAMIYAラジコン(復刻版)で持ってます♪フェラーリ314T3も♪
このころのラジコンはボディが2セットついているので、青のカラーと黄色のカラーで楽しんでます♪
是非是非次回も期待ですね!
まだ、この頃は生まれていなかったですが・・・(笑)、
TAMIYAラジコン(復刻版)で持ってます♪フェラーリ314T3も♪
このころのラジコンはボディが2セットついているので、青のカラーと黄色のカラーで楽しんでます♪
是非是非次回も期待ですね!
Commented
by
mipple11 at 2006-09-04 18:28
Commented
by
caymans at 2006-09-04 18:35
Commented
by
mipple11 at 2006-09-04 18:40
Commented
by
mipple11 at 2006-09-04 18:46
COOPER99さんへ
このマシンの設計者のデレック・ガードナーは商用車畑出身だったような記憶がありますが...(古過ぎて自信な~し!)
翌年にR・ピーターソンが乗った時は、タイヤのせいで精彩なくなってましたからね。
このマシンの設計者のデレック・ガードナーは商用車畑出身だったような記憶がありますが...(古過ぎて自信な~し!)
翌年にR・ピーターソンが乗った時は、タイヤのせいで精彩なくなってましたからね。
Commented
by
mipple11 at 2006-09-04 18:52
okuruma1970さんへ
多分"たいれる"のステッカーはタミヤが模型のライセンス契約を結んだので、日本GPの時のみ貼られたのだと思います。
中嶋・片山・高木と日本人ドライバーが乗りましたが、いい意味で商業ベースに乗らなかった、昔かたぎのチームだったんでしょうね。
多分"たいれる"のステッカーはタミヤが模型のライセンス契約を結んだので、日本GPの時のみ貼られたのだと思います。
中嶋・片山・高木と日本人ドライバーが乗りましたが、いい意味で商業ベースに乗らなかった、昔かたぎのチームだったんでしょうね。
Commented
by
mipple11 at 2006-09-04 19:00
くりりんさんへ
お初ですかね!
タミヤのラジコンは私もやりましたよ、オフロードとツーリングカーでしたがね。
F1は結構速いのと路面を選ぶので止めときましたが(苦笑)
>是非是非次回も期待ですね!
次までは少しは解説できますが、その後のマシン(80年代以降)はもう詳しくは判らなくなっちゃうんですよ!(笑)
お初ですかね!
タミヤのラジコンは私もやりましたよ、オフロードとツーリングカーでしたがね。
F1は結構速いのと路面を選ぶので止めときましたが(苦笑)
>是非是非次回も期待ですね!
次までは少しは解説できますが、その後のマシン(80年代以降)はもう詳しくは判らなくなっちゃうんですよ!(笑)
Commented
by
mipple11 at 2006-09-04 19:04
Commented
by
fuminoske at 2006-09-04 19:57
こんばんは。夏休みが開けに覗いたら、いっきになつかしのF1シリーズに突入されていて、ビックリしました。
ぼくが知っているのは、312Tからです。この6輪タイレルも子供心の興奮を呼び起こしてくれます!
やはり、JPSロータス・・・黒地に金文字が最強でしょうか?
あの頃は、テキサコ・マルボロ・マクラーレンとか、スポンサーを頭にしっかり入れて呼ぶことが一般的でしたよね。なんか今から考えると変な感じです。
続きを楽しみにしています♪
ぼくが知っているのは、312Tからです。この6輪タイレルも子供心の興奮を呼び起こしてくれます!
やはり、JPSロータス・・・黒地に金文字が最強でしょうか?
あの頃は、テキサコ・マルボロ・マクラーレンとか、スポンサーを頭にしっかり入れて呼ぶことが一般的でしたよね。なんか今から考えると変な感じです。
続きを楽しみにしています♪
このティレルとかブラバムなんていうのは、久しくF1で見ることができなくなったコンストラクターですね。この時代のマシンはどれも特徴がよく出ていたので、記憶に残っているのが多いです。
そういえば以前仕事で訪れた京都の街で、コジマエンジニアリングの看板を見かけました。KE007+長谷見昌弘の組み合わせは、当時小学生だった僕に強烈な印象として残ってます。
そういえば以前仕事で訪れた京都の街で、コジマエンジニアリングの看板を見かけました。KE007+長谷見昌弘の組み合わせは、当時小学生だった僕に強烈な印象として残ってます。
Commented
by
mipple11 at 2006-09-04 23:32
fuminoskeさんへ
ロータス72Dが行方不明なんです(苦笑)
コレを真似たロータスヨーロッパが結構ありましたよね(プラモ持ってます)。
あの頃のカラーリングは今も記憶に残っているものが多いですね。
F1以外スポンサーでもマルティニ・ガルフ・アリタリアとか...。
あと1台貴重なモデルも行方不明なんです、ジタンカラーの...そうリジェです。
ロータス72Dが行方不明なんです(苦笑)
コレを真似たロータスヨーロッパが結構ありましたよね(プラモ持ってます)。
あの頃のカラーリングは今も記憶に残っているものが多いですね。
F1以外スポンサーでもマルティニ・ガルフ・アリタリアとか...。
あと1台貴重なモデルも行方不明なんです、ジタンカラーの...そうリジェです。
Commented
by
mipple11 at 2006-09-04 23:37
qwertyさんへ
このモデルは作られた方が多いと思います。
なにしろ珍しい6輪車ですからね(笑)
あのひらがなの表記は、F1インJAPAN(日本GP)でのみ貼られていたものと記憶しています。
でももう30年前ですので間違っていたらゴメンなさいです。
このモデルは作られた方が多いと思います。
なにしろ珍しい6輪車ですからね(笑)
あのひらがなの表記は、F1インJAPAN(日本GP)でのみ貼られていたものと記憶しています。
でももう30年前ですので間違っていたらゴメンなさいです。
Commented
by
mipple11 at 2006-09-04 23:45
先生くん さんへ
私は日本から初めてF1に挑戦したMAKI-F1のことが記憶に残っています。
当時は今と違い、シャシーを造りDFVエンジンを購入すれば出来上がりで、参戦はある意味容易でしたからね。
もちろん予選も通らないようなマシンでしたが、F1の情報なんてほとんど無い時代、遅れてくる雑誌の情報を貪りましたね。
私は日本から初めてF1に挑戦したMAKI-F1のことが記憶に残っています。
当時は今と違い、シャシーを造りDFVエンジンを購入すれば出来上がりで、参戦はある意味容易でしたからね。
もちろん予選も通らないようなマシンでしたが、F1の情報なんてほとんど無い時代、遅れてくる雑誌の情報を貪りましたね。
Commented
by
mipple11 at 2006-09-04 23:55
タップさんへ
昔はかなりの数の作品がありましたが、現存しているものは少なくなってしまいました。
やはり年月が経っているので、ヘタに動かすとパーツが取れたり、破損したり、デカールがポロポロと剥げたり...。
昔のマシンの方が空力付加物が少ないため、美しいマシンが多かったような気がします。
昔はかなりの数の作品がありましたが、現存しているものは少なくなってしまいました。
やはり年月が経っているので、ヘタに動かすとパーツが取れたり、破損したり、デカールがポロポロと剥げたり...。
昔のマシンの方が空力付加物が少ないため、美しいマシンが多かったような気がします。
Commented
by
seiuchi-porsche9 at 2006-09-06 18:07
やっぱりタイヤ6個は、皆さまにも衝撃的だったようですね(笑)。
ロータスのミッドシップと、ルノーのターボ、そしてティレルの6輪。
こういう発想ができる人って、ホント凄いと思います。
モデルカーを収集していますが、手作りのプラモデルは、思い出が沢山散りばめられていそうで、数年経ったら、やっぱりプラモデルの勝ちだな~と、思ってしまいました(笑)。お宝拝見、楽しいです!
ロータスのミッドシップと、ルノーのターボ、そしてティレルの6輪。
こういう発想ができる人って、ホント凄いと思います。
モデルカーを収集していますが、手作りのプラモデルは、思い出が沢山散りばめられていそうで、数年経ったら、やっぱりプラモデルの勝ちだな~と、思ってしまいました(笑)。お宝拝見、楽しいです!
Commented
by
mipple11 at 2006-09-06 23:21
セイウチさんへ
後にも先にも、6輪車でサーキットを走ったのはこのマシンのみ(後ろがダブルタイヤはありましたね)、少年誌などでも紹介されていたので記憶に残っている方は多いと思います。
私もプラモデルの前は、ミニチュアカーを多少集めていましたが、こちらは全然残ってないんですよ(苦笑)
後にも先にも、6輪車でサーキットを走ったのはこのマシンのみ(後ろがダブルタイヤはありましたね)、少年誌などでも紹介されていたので記憶に残っている方は多いと思います。
私もプラモデルの前は、ミニチュアカーを多少集めていましたが、こちらは全然残ってないんですよ(苦笑)